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商業同人についての覚書 前編

【テンプレ】
「ユリイス名義」は、台鼎がオフラインで寄稿した文章の再掲や、常体でドヤ顔レビューしたいときに使う用のカテゴリです。
ドヤ顔で語ってますが情報にほぼソースや例がありません。脳内設定の恐れすらあります。

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 同人ゲー界隈を眺めていると、「商業同人」という言葉に出くわすことがある。大体があまり良い意味で使われることのない表現だが、しかしよく見るとその使われ方は一定ではない。ということで一体どないな風に使われている言葉なのか、そしてそもそも商業と同人って一体なんなのか、ちょっと考えてみることにする。

【同人という言葉】
 同人というのは元々「同好の人(の集まり)」といったような意味で、いま使われている「個人製作」とか「アマチュア」だとかいう意味とは必ずしも一致しない(さすがにこんな辺境の文を読む人に同人=二次創作エロと思っている人はいないだろうが……)。

 そういう意味では「個人(の同人)サークル」というのは本来なら自己矛盾なワードなのだけれども、今ではすっかり定着している。しかし一方で、本来の意味であれば何もおかしくない「プロで同人」「商業で同人」という表現は、2011年のオタクとして生きる人々には違和感を催すものである。

 つまり「個人製作」だったり「アマチュア」だったりの作品が、私たちにとっての「同人」なのだ。そうなった経緯については、古くは(漫画などにおいて)アマチュアな個人の創作が同人を通して行われてきたから……という歴史的経緯があるらしいのだが、ここでは割愛する。

【エロゲ界隈での「同人」】
 エロゲ界隈の実態を鑑みると、やはり「同人」という言葉は、本来の意味を離れている。

 本来の「同好の集まり」という意味なら、脳内彼女とかライアーソフトとかも(外から見れば)同人と呼ばれてよさそうなものだが、彼らの作品が「同人的」と言われることはあっても決して「同人ゲーム」と呼ばれることは決してない。あくまでも彼らの作品は「商業ゲー」だ。そう、少なくともエロゲ界隈において、「同人ゲー」と「商業ゲー」は対立概念であって、明確に区別されるものなのである。

 しかしである。明確に対立するというのにやはり、先に述べたように「商業同人」という表現は存在する。それは商業や同人という言葉がよく理解されないまま使われているからである。感覚的にしか使われ方を理解してないまま対立概念であると思っているから「商業っぽいけど同人らしい」「同人っぽいけど商業らしい」(大抵は前者)という違和感が発生するのだ。「同人」と「商業」は明確に対立はしているが、それ自身が明確な概念ではないのである。

 では私たちは、なにを以て商業ゲーだ、同人ゲーだ、と言っているのだろう。
 先に、同人という言葉は「アマチュア」「個人」という意味で使われていると述べた。ならば、「プロ」や「非個人」であれば商業ということなのだろうか。

【プロフェッショナリズムとアマチュアリズム】
 プロ・アマという基準を考えてみる。
 プロというのはつまり職業作家のことで、創作活動によって金銭を得て生活している者のことをさすが、これの対立概念であるアマのことを考えるのは結構面倒臭い。こと作家性が求められる分野において、「職業意識の有無」「技術の巧拙」「趣味性の有無」「アマチュアリズムの有無」など、基準がいくらでも思い浮かぶ程度に、プロ・アマという言葉は区別がはっきりしない。

 職業意識や技術を基準にするとアマという言葉は、責任感や技術のない存在ということを意味することになる。確かにこういう意味でのアマを基準にして「同人」を定義している例は存在し、たとえば「同人レベル」と表現すれば、大概それは作品(あるいはブランドの活動自体)が見るに堪えないことを言っており、これが直感的な「同人ゲーっぽさ」の基準になっている面は少なからずある。
 ただ、あくまでそれは「っぽさ」のレベルであり、商業ゲーと同人ゲーがそのことによって区別されているかと言えばそうでないことは明確であり、実際、地雷と呼ばれる商業作品は事欠かないし同人でも高品質の作品はいくらでも存在する。

 趣味性やアマチュアリズムを基準すると、作家自身の創作活動への姿勢が問題となる。
 アマチュアリズム、つまり「金銭の授受を拒否する」「非営利主義」という基準でいくと、アマチュアの活動は全て無償で行われるということになるが、この意味でのアマを同人の基準にすると割と大変なことになる。そう、なんといっても「同人ショップ」という存在があるのだから!
 確かに、商業ゲーと呼ばれるものにフリーゲームはほとんどない。あったとしてもおまけや短編、あるいは過去作の再リリースである。しかし、同人ゲームの全てがフリーゲームかと言えば絶対にそんなことはないのは明確である。先に述べたように、同人ゲームを販売している店が津々浦々に存在するくらいで、多くの同人ゲームがシェアウェアとして発売されている。
 非営利主義=無償という過程が極端だとひょっとしたら思われるかもしれないが、決してそんなことはない。「好きでやってるから金なんていらない」というのなら、趣味にかかるお金は自分で負担しないといけないのだから。「好きでやってるから金はいらない、けど見合うだけの対価は欲しい」などという主張は営利主義と変わらない。
 そして付け加えれば、自身に利益が出るかに関係なく対価を受け取る時点でそのことに対する責任が発生するのであって、それはすなわち「プロ意識」の要請にほかならない。

 趣味性を問題にすると、「趣味性があるのはアマ、ないのがプロ」となる。この趣味性というのは「同好の集まり」という同人の原義に非常に親和性のあるもので、なるほど確かに、理想的な基準ではある。
 しかし原義に近いということは、つまり現状にそぐわないということだ。先に述べたように、趣味性の強いように見える作品だからといって同人と呼ばれるかといえば、決してそんなことはない。
 そもそも趣味性があるかどうかなどというのは内心の問題なのであって、本人以外には分かりえない。たとえば奇抜で一般受けしなさそうなタイトルがあったとして、それが好きなものを作ったからできたものなのか単に話題性による営利効果を狙っただけの産物なのか、原理的には作った本人以外は知ることができない。また同様に、一見消費者に媚びたようなタイトルがあったとしても、実はそれが彼らの本気で作りたいものなのかもしれない。
 この意味でのアマを基準にすると、「同人」は自称としてしか意味がない概念となる。しかし現状、趣味性のある作品が同人を自称しそうでない作品は自称しない、というのが徹底されているわけでは全くない。

 以上のように、プロ・アマの議論を用いて商業と同人を区別するのは、プロ・アマの区別がそもそも明確でない上に、現状にはそぐわないのではなかろうか、というのが筆者の見解である。

 付け加えになるが、アマチュアの趣味性やアマチュアリズム――利益を追求せずに、作りたいものを作ること――を同人の誇りにするならば、それが意味するところを覚悟しておかなければ壮大なブーメランになりかねない、ということには留意しておく必要がありそうである。
 たとえば、職業作家が趣味性やアマチュアリズムに依る創作をすることはなんら責められることではない。しかし実際、「プロ同人」などという揶揄など、単に技術の高い者に対する妬み嫉み僻みが現れているようにしか見えない批判も少なからずみられる。


To be continued...?

(初出:書き下ろし)
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